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親切に感謝、ですが・・・

先日必要あって、1時間近く都内をバスで移動しました。その時のことです。バス車内では、実にさまざまなアナウンスがあることに気づかされました。

「やむを得ず急ブレーキをかけることがあります。お立ちのお客様はしっかりと手すりにおつかまり下さい。」
「走行中のバス内の移動は危険です。おやめください。」
「お降りになるお客様は、バスが止まるまで、お立ちにならないでください。」
この辺りまでは、当然と思っていました。
停留所ごとといった感じのアナウンスでしたから、ちょっと多いのでは、と思いましたが気にはなりませんでした。
何かの都合で急ブレーキということがあり得ます。走行中のバスの移動は確かに危ない。バスを降りようとしたとき、バスが大きく揺れることがあり得ます。これも危険です。アナウンスは必要と感じられました。だから、うとうとを邪魔されることはありましたが、そんなことはこっちの都合、と思っていました。

「ずいぶん親切、これほどまでのご注意が必要なのか?」と思い始めたのは、次のようなアナウンスあたりからです。あ、そうそう、その日はかなりの雨降りの日でした。
「雨の日は、足元が滑りやすくなっています。お降りの際は、転んでしまうようなことのないように、十分お気を付け下さい。」 「外にはかなり水たまりができ始めています。足元には十分、ご注意ください」
「雨の日は、傘の忘れ物が多くなっています。ご注意ください。」
「車外の雨がかなり激しくなっています。お降りの際は、大切なお荷物が濡れないように、ご留意ください。」
記憶に頼って書き出しているので、ここに記したことばは、正確ではありません。しかし、確かに、こうした意味の注意がなされました。車内アナウンスがずいぶん親切になっている、そう思いました。

でも、ここまでは、「配慮に感謝」の基本姿勢に変わりはありませんでした。
かすかに、「そこまで?」という感覚が動き始めたのは、次のようなアナウンスあたりからでした。あ、そうそう、ここに記しているその日というのは、9月半ばすぎのことであります。

「このところ、季節外れの暑さが続いています。こうしたときは、水分をとらないと体に様々な影響が出ます。どうぞ、水分を十分にお取りください。」
「空気が乾燥しています。こうしたときはのどにトラブルが出がちです。のどの健康には気を付け、外出先からお帰りの際は、うがいなどをされたほうが良いと思います。」

さらにさらに、こんなご注意までがありました。
バスを待つときの列の割り込みについての注意、夜、自転車で道路を通行する際の車のライトに対する注意、さらには、地震の際の家具の転倒防止の備えに関する注意。
細かい配慮に満ちていたことは確かです。素直に「親切なバスだなあ。」と感じ、感謝することが正しい態度というべきかもしれません。しかし、その時の私は、かすかに、本当にかすかにではありますが、疑念を抱き始めていました。

ところで、2006年7月本欄エッセイは、「危険感覚について」という題名で、次のようなことを述べました。それをそのまま引いてみます。

「朝のJR山手線ホームのことです。 乗降が終わり、キンキンキンキンの音とともに電車のドアが閉まりかけた、その時です。20前後と見える女性がドアに近づきました。あわてて走り寄るといった様子ではありません。むしろ悠然に近い態度で閉まりかけたドアに近づき、次の瞬間、何とドアに首を差し入れたのです。ドアの両側の乗客があわてて、首の周りに手を差し込み、ドアを開きにかかりました。こんな状況が、あるいは気配が、乗務員に伝わったのでしょう。ゆっくりドアが開き、彼女は事なきを得ました。(中略)もう一つ、そうした状況を見ていて思い出したことがありました。数年前、幼稚園の先生がたの研修会にお邪魔した折のことです。研修の場所までご案内される途中、園長先生がその場所を手で示しながら言われました。「この幼稚園のドア、窓にはすべて小さな木切れが置いてあるのがお分かりですか。これは、本園の先生方のアイデアです。このおかげで、本園では幼児がドアや窓に手の指を挟むという事故は全くなくなりました。」見ると、確かに、すべての窓の端に、先生方の手づくりの木切れが置かれているのがわかりました。」

私がここで問題にしているのは、危険感覚の衰微の問題です。危険感覚というのはそれぞれの人が身につけていて、危機に際してとっさに我が身を守ろうとする意識・行動です。最近そうした危険感覚が弱くなっているのではないか。何か起こると、あなた任せになりがちなところはないか、ということです。

ドア、窓のすべてに小さな木切れを置くことによって、確かに事故はなくなるかもしれない。しかし、しかしです、子どもがけがの危険にさらされることは決して好ましくありませんが、原則的に言うと、子どもたちの危険感覚というのは、不注意から手を挟み、痛さに「ワーッ」と泣き出すことによって、窓を閉めるときは注意しようということを学ぶのではないのだろうか、そんな思いがちらっと頭をよぎるのです。

その幼稚園で木切れを思いついたのには理由があったのでしょう。おそらく、手を挟んで泣き出した幼児の保護者の方から、「もっと注意すべきだ」という厳しい指摘を受けた、といったことがあったのでしょう。そこで考えられたのが、この木切れだったに違いありません。そうしたことを考えると、ことの是非を断定的にとらえることはできないことに気づかされます。ここには難しい問題がある事は確かです。

私がここで提出する疑問というのは、折角の親切も、過剰になるとかえって自発的な危険感覚を鈍くしてしまうようなことがあるのではないか、ということです。

バスの中でのアナウンスを聞きながら、私はそんなことを考えていました。読者の皆様はいかがお考えでしょうか。      

尾木和英
 (NPO法人 ILEC言語教育文化研究所代表理事)

【2015年12月】

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